聖母の騎士

1980年10月13日、東京清瀬市にあるベトレヘムの園病院で、入院中のゼノ・ゼブロフスキー修道士に、ささやかな”賞”が贈られた。賞の名は「日本善行賞」。その賞の授与式に、看護婦さんらに付き添われて車椅子で出席したゼノさんは、表彰状が読み上げられている最中、周りの人たちが、びっくりするような大声で、「ワタシ、五○ネン、ハタラキマーシタ」と言った。 ゼノさんが体力の衰えで病院入りしたのは1978年9月5日。もう二年もベッドの上の生活が続いている。 マキシミリアン・コルベ神父に伴われて、ゼノさんは1930年4月、初めて長崎の土を踏んだ。当時の早坂司教の好意で、大浦にある長崎司教館に一ヶ月ほど住み込ませてもらった。 コルベ神父は、上陸後ただちに、雑誌『聖母の騎士』の発行にとりかかり、一ヶ月後の5月、創刊号が出た。これが本誌の〝産ぶ声”である。 創刊当時のゼノさんは、30代の働き盛り、コルベ神父の片腕として大活躍した。印刷機械の購入、修道院の土地探し、騎士誌の配布、机や椅子などの家具作り、炊事、と何でもこなせる万能選手だった。 戦時中は、コルベ神父なきあとの修道院を支えた。神学生たちの世話をするため、ミロハナ神父とゼノさんだけが、外国人収容所行きを免れた。 そして終戦。修道院に戦災孤児を収容したのが、ゼノさんだったが、戦後35年、ゼノさんの役割は今、終わろうとしている。